『僕』という一人称を無意識に使う者の一人としてこれについて考えてみた。
これは正確(アカデミック)には自分と同等や自分以下の者に対しての一人称代名詞とのことだ。
正直そんなことは知らなかった。
いや知らなかったというか『僕:しもべ』ともよむし、そんな感じかな?とは思ってはいたけれど、典籍によれば僕は別に間違った使い方はしていないようである。
まあそんな机上の空論はおいといて、男は大別すると『俺派』『私派』『僕派』という三大派閥にわかれる。
マイノリティーとして『自分派』もいるが、これは全ての一人称派閥の者がたまに使うものであり、『自分』としか称さない者は生きてきて一人しかいなかった。関西弁だと二人称で使うみたいだけど、一人称で普段使いは滅多にいないと思う。
そしてその者は自分のことも自分と称し、他人二人称も自分と呼ぶ、稀な男だった。
具体的に言うと、
「自分はこうしたいんだが自分はどう思う?」
と徹底していた。彼は、
「僕はこうしたいんだが、あなたはどう思う?」
と言ってるつもりなんだけれど、なにしろ純血で混ざりっ気のない『自分派』なので、彼がそう言う度に心おどったものである。
僕が自分の事を僕としか無意識で言えないように、彼は自分を自分としか言えないのである。
これはとんでもない事だと思う。
彼は埼玉の出身だ。僕は物心ついた時はメインは東京だ。埼玉と東京などほとんど距離はない。
それなのに、しみついた一人称や二人称が違う。
トッポい奴が『俺派』だったり、まじめくさった意識高い系などが『私派』だったりそれはわかる。
でも常に『自分』てありえるか?「自分さあほんと〇〇好きだよねえ」とか言うか?わざとじゃなく…
ほんとそいつとの会話はカルチャーショックだったよ、こんな言霊使いがまさか埼玉にいたとはね…、さいたま侮れないな。でも、意外と関西には多いのかな?でも関西弁の場合は二人称のみだよね、たしか。
で、ちょい憧れて僕も『自分派』になるべく一時自分と言ってたんだけど、やっぱ矯正出来ないし、僕で生きてきたんで、自分とか言ってるとなんか気持ち悪くなるから止めた。
と、そういう話。
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